不安と葛藤の堂々巡り

ここ数日、自分の中でのボーダーラインを考え直している。

要は条件の洗い直しだ。

給料や仕事内容・年休などの福利厚生のなかで、自分がまだ譲れる部分を緩めていく方向で考えている。

なんでそんなことをしているかというと、企業とのミスマッチが多いのだ。

 

これまでの就職活動の中で、実はそれなりにいい評価を貰ったケースがある。

もちろん、書類で落とされることもあるけど、こちらの意思表示ラインまでいったケースもある。

しかし、自分の中で納得できない部分があったり、条件面が厳しかったりとなかなかうまく行っていない。

客観的に見れば、ないものねだりをしているんだろう。

もったいないと思うし、何様だと思われることもあると思う。

それでも、その状況で働いていくのは自分なのだ。

他人がどうこう言ったところで、自分の働く環境は変わらない。

意識の変化はあるかもしれないけど、条件の変化は変わらない。

 

 

そんなこんなで、自分の価値を卑下したりネガティブな感情に沈むことも多々ある。

自分の中で「どうするか」という葛藤と、これからどうなっていくのかという不安が常に付きまとっている。

 

 

過去に勤めていた会社の上司がこんなことを言っていた。

「やる気が出ないときは、とりあえず始めてみるといい。」

状況や言葉の意味は違うけど、今の状況に当てはめて考えてみれば、

「どうなるか分からないけど、まずは一歩踏み出すこと。」

と自分に言ってみる。

 

あーだこーだ考えて、悩んで、ウジウジしていても何も変わらない。

今の状況は特にそう。

会社を去る確率

僕はこれまで面接官をしたことがある。

それは新卒者へのフォローの意味をこめた面接官だった。

つまりはアイスブレイクの一要素として、比較的年齢の近い僕が新卒者の緊張をほぐすために同席しただけだった。

それでも、ある一定の評価を下す権限もあったし、会社がどのような人材を欲しがっているかを理解した上で行動したと思っている。

 

一方で、人事部や採用担当などの本格的な面接官としては実績はない。

あくまで人事活動の一環としての「お手伝い」をしただけだった。

 

「面接」という場面については、求職者側として「受ける」立場が圧倒的に多い。

いや、面接に限らず採用活動では、「受ける」側の人間としての感覚が強い。

それゆえか、未だに全く理解できないことがある。

 

「転職回数によるボーダー」

このことについては前にも書いています。

math-chicken.hatenablog.com

 

 

転職回数について相手から言われるコメントの多くは

「こんなに転職をして、うちに来てまた辞められても困る」

というのが一般的でしょうか?

よくあるコメントだと思うし、実際に同じようなニュアンスで懸念していることを伝えられたこともあります。

 

確かに「会社をコロコロ変えやがって」とマイナスイメージを持たれるでしょうが、この懸念と実際に会社を去る確率って直結するんですかね?

 

そもそも転職は、どんな言葉で綺麗に飾ったところで「現状への不満」が動機だと思うんですよ。

給料が低い、スキルアップできない、人間関係が悪い・・

たとえ、家庭の事情で都会から田舎に帰らなければいけない場合でも、仕事より家庭の事情を優先できない状況にあるから転職するんですよね。

 

つまり、その「不満」があるから転職する(した)のであって、着目すべきは転職の「理由」であって「回数」ではないと思うんです。

その理由を聞いたうえで、「うちに来てもすぐ辞めるんじゃないか」と考えてみるべきじゃないのかなぁ。。

 

 

ushinattta.hatenablog.com

 

こちらの記事を読んで、そんなことを考えてみたりしました。

 

 

システム開発のお仕事

僕はこれまでプログラマーとかシステムエンジニアとか言われる職で働いていました。

この仕事を選んだ深い理由はなく、大学で学んでいたから。

といっても大学ではC言語の授業しかなく、しかもポインタのあたりで怪しくなってきました。

授業の内容もCUIでの演算だったり、GNUを使ったグラフ表示をするくらい。

プログラムの楽しさなんて全く分からないまま卒業しました。

 

就職して、初めてGUIのシステムを作ったときは素直に「面白い」と思いました。

新しいことを学ぶことはストレスだけど、新しいことが出来るようになったら嬉しくなったのをよく覚えています。

クライアントからの要望や、ちょっとした依頼で作ったシステムのおかげで大いに感謝されたこともあります。

それが「やりがい」なのかはまだ分からないですが、自分はこの仕事が嫌いではないんだろうと思っています。

 

でも、これまでにこの業界を去りたいと思ったことはあります。

ソースコードなんて見たくないと思ったこともあります。

IT業界から別業界に行ってやると思ったこともあります。

 

ただ、他の仕事が分からないんですよね。

営業職は個人的に嫌なこともあり、大嫌いになった経験があります。

事務職はイメージはわくけど、それでいいのかなと思ったり。

 

他は・・何があるんだろう?

販売員?介護師?マッサージ師?タクシー運転手?ホテルマン?土方?

未知な世界が大いに広がっています。

 

それでも、嫌になったとしても、僕はこの仕事を続けるんだろうな。

苦しいこともあるし、辛いこともあると分かっているけど、そこに道があると信じて。

都会への憧れ 田舎への憧れ

僕は大学を出るまで田舎で育った。

 

移動手段は車と自転車が9割。

車はもちろん自家用車。

バスはほとんど本数がなく、電車も1時間に1本あるかないか。

大型のショッピングモールなんてあるわけもなく、買い物はローカルなスーパーやドラッグストアで済ませる。

娯楽施設はボーリングとカラオケと映画館。

ウインドウショッピングを楽しんだり、何かのイベントをやってる場所なんてない。

 

それでも僕は、十分に満足して生活していた。

というか、都会で生活するということを知らなかった。

 

社会人になって、福岡に引っ越した。

電車で通勤することになったし、仕事帰りに歓楽街に呑みに出ることも多かった。

休みの日はウインドウショッピングをしたり、理由もなく街をぶらつくのが楽しかった。

電車は10分に一本は出るし、自分の車なんて必要なかった。

そして福岡で数年を過ごし、僕は東京へ出た。

 

当たり前だけど、東京は福岡より都会だった。

どこに行ってもイベントが起こり、刺激的な毎日だった。

何より、掴めるかどうかわからない数多くのチャンスがあった。

個人的には、チャンスの数は人口に比例するんじゃないかと思ってる。

チャンスの質については別問題だけど。

 

ただ、たまに海が見たくなったり、自然の中に身を預けたくなることもあった。

時には地元に戻りたいと考えることもあった。

でもそれ以上に、都会の便利さに慣れてしまった。

 

 

都会は疲れたといって田舎にあこがれる人もいる。

田舎は何もないといって都会にあこがれる人もいる。

僕はどちらの生活も経験してるし、どっちがいいなんて分からない。

 

田舎には田舎で生活するユルさと、それに応じた不便さが存在する。

都会には都会で生活する激しさと、それに応じた便利さが存在する。

 

つまりは無いものねだりになってしまうんだ。

自分の欲求と、周りの環境とを、どうやって折り合いつけて暮らしていくか。

もちろん、そこに仕事や家庭環境など様々な要素が加わってくるはずだけど。

 

 

あー、どこでもドアがあったらいいのにな。

需要と供給はいつもすれ違い

複数の転職サイトを利用して転職活動をしていますが、どのサイトにも共通してある機能があります。

「スカウト」とか「オファー」とか言われてるアレです。

企業側から求職者へメッセージを送ることができるアレです。

 

ありがたいことに、僕も現在進行形でメッセージを頂くことがあります。

「求人出したからとりあえず見てね」といったメッセージから

「経歴見たよ!ぜひ応募してくれないか!」といったメッセージまで

アプローチをかけてくださることは本当にありがたいと思っています。

 

過去に転職した際は、このメッセージを頂いた企業に応募し、採用して頂いたケースもありました。

好意を持ってくれているので、しっかりと自分の話を伝えることも出来ますし、その企業のことをしっかり見ようという気持ちもわいてきます。

マイナスな感情や負の先入観があまり入り込まずに接することができるので、本当にありがたいきっかけを貰ってると思います。

 

しかし、難しいことに、僕の希望する勤務地や職種にまったくかすらないメッセージも中にはあります。

仕事内容はめちゃくちゃやってみたい!!と思っても、行きたい方角の逆方向だったり。

その場所で働きたいんだよぉぉ!と思っても、畑違いどころか土壌から違う職種だったり。

なかなかにマッチングすることも少なく、もどかしいなと思う気持ちになることもありますが、それでも良いなと思う企業からのアプローチはうれしいものです。

まぁ、中にはミスって送られてくるメッセージもありますがね。。

 

 

企業との出会いは縁だというし、運だともいいます。

それは人とのつながりにも似て、自分だけではどうにもできないものです。

 

現在僕は無職ですが、僕以外にも求職中の方も多くいると思います。

それらの人と、企業の数だけ縁があると考えると、なんとも不思議な感じです。

 

僕もですが、求職中の方にも、良い企業との出会いがあればいいなと思います。

転職回数というボーダー

少し前の話ですが、九州にある企業の社長さんとお話をする機会がありました。

簡単に言うと社長面接です。

普通に応募して、普通に書類選考を通過し、普通に面接の日程を調整し、九州まで行って面接してもらいました。

 

その社長さんは、話しをした感じでは凄く人柄がよく、僕自身の人生相談なんじゃないかと思うような話も真剣にしてくれました。

半分以上が人生相談かと思う面接は、2時間を越えて終わりました。

 

結果は不採用。

 

理由を聞けば、そもそも転職回数が多い人は書類で落とされるはずが、人事のミスで面接まで進んだだけとのこと。

 

つまり、面接の場にたどり着く前から僕の不採用は決まっていました。

 

なんとも虚しい気持ちになります。

あれだけ熱心に話をしてくれて、しっかりと話を聞いてくれて、良い人オーラが出ていた社長さん。。

形容し難い虚しさです。

 

 

 

日本の多くの企業は転職回数にこだわります。

会ってもいない、声すら聞いていない人を、送られてきた書類やWEB履歴書の情報で判断し、NGのレッテルを貼ります。

どんな人なのか、どういう考えがあるのか、どういう理由があって転職をしたのか、何がしたいのか・・・

伝える機会すらもらえないんです。

 

また、同じように年齢にもこだわります。

僕はまだ30手前ですが、年を重ねるにつれて更に厳しくなるでしょう。

Google先生にちょっと聞けば、40代、50代の絶望にあふれる情報が山のように出てきます。

それらすべてが真実とは思っていませんが、すべてが嘘とも思いません。

 

 

 

エイブラハム・リンカーンの言葉に、こんなものがありますよね。

転んでしまったことなど気にする必要はない。

そこからどうやって立ち上がるかが大切なのだ。

 

 

今の僕は盛大に転んでいることでしょう。

そして、立ち上がろうとしています。

でも、見えない誰かが首根っこを押して立ち上がるのを阻止しようとしています。

その見えない誰かに負けないように、立ち上がれる日を目指して。

見えない不安に怯えているという話

無職の状態が長く続くと、色んな焦りや不安が出てきます。

かくいう僕も、かなり不安な気持ちはいっぱいです。

 

このままこの状態から抜け出せないんじゃないか・・・

次に決まったとしてもブラックなんじゃないか・・・

この転職失敗したらどうなるんだろう・・・

 

つまりは「失敗に対する不安」が大きいです。

 

僕は年齢に対しての転職回数が多いです。

次に失敗したら、この回数がまた+1されるわけです。

そうすると、採用する側の目は更に厳しくなります。

 

「失敗したら失敗したときに考えれば良い」とアドバイスをよく貰います。

僕自身、そのとおりだと思っています。

失敗は、失敗するまでは失敗ではないと思っています。

だから、失敗するまで失敗したらどうなるか分からないです。

 

それなのに「どうしよう・・」と考えてしまうのは、もはや見えない不安に怯えているとしか言いようがないです。

 

つまりは考えすぎなんですよね。

 

仮に失敗したとして、どうなるかなんて分からないんです。

そして、その失敗が死に直結しないのであれば、いくらでもやり直せるはずなんです。

 

だから思うべきは「失敗したらどうしよう・・」ではなくて

 

「失敗してもどうにかして這い上がってやるぜ!」

 

という意思ですね。

 

 

正直、不安や焦りで心が弱っていました。

このことに気付かせてくれた大切な人へ、本当に感謝します。